前回の続きです。(前回の記事はこちらから)
青森県の波動調査から解った縄文波動の豊かさ
縄文時代後期に実在の人物達が国を治める経過を宇宙、自然科学を織り交ぜて、ホツマツタヱのかたちで国史が編纂されました。この時代の中心地方は津軽国で国の誕生は、アマテル神と大国主が国譲りの交渉を行い、誠心誠意の姿勢で対応した大国主の姿勢に心和んだアマテル神は情状酌量の処置として、つがる(津軽)国を大国主に分け与えました。
津軽半島の西北部にかけて栄えた縄文文化は、三内丸山遺跡(青森市)、大森勝山遺跡(弘前市)田小屋野貝塚(つがる市)、亀ヶ岡石器時代遺跡(つがる市)などから縄文人の暮らし、気候、風土が検証できます。この時代の人達は大きい身体を有(平均身長3㍍前後)し、がっしりした体躯で筋力が強く粗食の為、300歳前後の長寿でした。
山内丸山遺跡の復元大型堀立柱建物は栗の巨木柱で造られていますが、当時の縄文人であれば
その運動能力を活かし人力で容易に作れる建物と推察できます。
十三湖から七里長浜海岸線地域は約1000年前頃、河川が運んで来た土砂が堆積して砂州デルタが発達し、大きい十三湖は湖水の水深が浅くなって汽水環境の湖になりました。他の小さいものは砂州に囲まれた池になりました。
パワースポットで育った十三湖のシジミは縄文人も食したと考えられます。高波動の貝類に人間の関与が離れた場所で間接的に始まったのは、約1200年前頃、開山された岩木山頂の一角を、岩木山神社として(ホツマツタヱ人・坂上田村麻呂)が造営寄進しました。その結果として、頂の精妙な高波動電磁波が頂上直下を源流にして岩木山を流れ下る清流に波動情報を伝え、岩木山神社の蔵助川が岩木川に合流し下流にパワーを送っています。津軽平野を流れる岩木川は波動を十三湖に注いでいます。十三湖大橋が架かる湖の汽水口から海に流れ出る水の拡散範囲で、精妙電磁波の蓄積が進み海のパワースポットが造られています。
悠久の時を経て縄文から現在まで津軽十三湖の幸は食を潤しています。
白神山地の高波動値(磁気波)が地域興しを実現しています
五能線・深浦駅からウエスパ椿山駅間は自然地形の絶妙な配置場所です。深浦から艫作崎にかけての半島せり出しは中庸な規模を形成しています。海岸線の山側は標高170㍍前後の広大な面積の丘陵地帯になっており、白神岳の中心箇所から少し離れているので風通し良く、気流の乱れがないので丘陵には10機の風力発電が建造されています。
この地域特色を活かしたブランド品が「ふかうら雪人参」です。丘陵地帯の畑で栽培されており人参は収穫まで110日位を要しますが、さらに2ヶ月以上、土の中で熟成させます。
適度な降雪量、極端な低温に見舞われない、雪の中での収穫作業日が多くとれる等の条件が満たされ、人参は絶品の仕上がりになっています。人参特有の野菜香り臭が少なく、芯まで鮮やかなオレンジ、糖度が極めて高いので、カロチン豊富な人参ジュースとして人気があります。
ブランド人参は冬期間、地域住民に安定した収入をもたらし、海、大地、風景、山岳など、白神山地の精妙磁気波は愛をもって人々の生活を潤しています。