エヴァへの道

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想念観察 I

私達は年齢を重ねるなかで人生の方向を左右する判断を幾度となく決定し、時には反省の意味を込め自分が体験してきた学びの経過を振り返っています。知識や経験が増すにつれて人生の根本的な問が浮かび上がり「何故、自分は人間として生きているのか、自分の役割は何か?」の探求を初めています。

頭の中に浮かんでくる過去に経験した出来事を思い起こし、その都度味わった感情の起伏を分析して生き方の可否や、人生の意義を見いだそうとしますが、自分の心を充分に納得させる充実感が希薄に感じられながら、時が過ぎていきます。

人類を育む地球の自然やガイアと呼ばれる地球生命体が、エヴァの惑星へ変わろうとしている現在、それに気づきアセンションと共に自分の生き方を大きく転換していく心の問が強まっている人達には、強い決心と実行力が要求されています。

人生転換を成し遂げる精神力の力は、自分の生き方を変えていく効率的な方法の問に対して、現在の精神活動の状況によって効率が左右されることの確認がこの時点では不明確です。何故なら、多様な想いを巡らしながら喜んだり、迷ったりして人間を悩ましている心の本質をよく理解していないからです。誰でもこの様な不確実状態のなかで想念観察を出発させます。

人間の想念「想い、感情、心(思う)」は日常生活を送るなかで行動し、体験して味わった精神活動状態を言います。想念観察の初歩段階では、自分が体験して感じた多様な想念の精神状況を、客観的にただ淡々と観察することに意識を集中させます。この観察法に慣れてきたら、自分の中にもう一人の客観視できる自分という存在を置いて、この存在に自分の想念を観察してもらいます。

この方法に習熟してきますと感情の起伏を起こす想念が主人公でなく、本当の主人公は想念に不随している自分という人間であったという理解がされてきます。想念と想念を持って観られているあなたという自分と、観ている自分との切り離しができて、想念「想い、感情、心(思う)」が自分でないことに気づき、概略的に想念とそれを想う自分という関係が解った段階で次の想念観察に入ります。

ここでは想念の原因究明として例えば怒り、不安、心配、喜び、嫉妬等の想念が何故、こされてくるのか想念の原因を調べていきます。次にその原因は不調和で矛盾を抱えている状態を下支えしている要点なのか、解ってきますので調和させるための心のクリーニング(中和、肯定化)を行います。

例えば批判する気持ちが起きたら「他人の批判は結果として、自分を批判している、もっと自分を認め愛しましょう」という真理の言葉に照合させて中和していきます。また自分という人間が、意志と意識を自然界と調和する方向へ転換して神と一体になったと思ったら、「人間は自然の法則を具現化する行動と体験を通して、宇宙、自然界の仕組みを学び続ける類人という生命種です」という類人(人間)の原理と照合させ未熟点を修復していきます。

修復(修正)することはよく勉強していないから、難しいと考えるかもしれませんが、実はそれほど難しくありません。何故なら「難しい」という想念で固定化され「難しい」と思わされ、学習を断念してしまうのです。それから早く結果を出そうとして、焦りの想念に入り込んで難しいと想う(思う)こともあります。

「毎日コツコツ継続し積み上げること」は難しくないのです。虚心坦懐の気持ちで観察を継続して経験を積み重ね、次第に想念の発生原因究明や、修正作業を積んでいけば、、やがては心の重心が低く安定した清涼感あふれる状態に到達していきます。私達の前に現れる現象の本質を見抜く洞察力も養われていることを、その都度気づき、確認できる様になっていきます。

想念観察はすべて個人の内的作業です。想念同士の照合は自問自答形式で行われ、答えもすべて自分の中でみつけ出せる方法です。想念観察の関する参考資料や本は、広範囲に取り寄せますが、答えは決して外部や他者に求めることはありません。自分の言動は自分が学習し理解していますので責任転嫁も起こりません。依存的な心情で想念観察の結果不足を、責任や原因の追及という責任転嫁のかたちで現れるとしたら、それは観察の未熟であったいう理解になります。

想念観察に習熟して経験を積み気づきが深まりますと、人間は人間の最終成長段階、第5時空層所属の本質生命体とその選択された身体になります。異質であることを受容し、誰とでも気兼ねなく付き合い、自然界の存在と振動波で会話できる様になります。この成長の道が、私達の身近な所で対立がなくなり社会へ愛と調和と互恵と感謝のエヴァ化をもたらします。

エヴァ社会の確立を目指し、私達は最終ゴールへ、一歩一歩継続しながら進みましょう。

 

想念観察 II

想念観察のスタートは戸惑いの連続です。社会も、自分達の生活する場も、自分の想念を観ているという客観的なもう一人の第三者の目や意識から、自分という観られている「あなた」を設定する機会を提供することがほとんど無いからです。

毎日あるのは、時として他人という第三者の目になったり、ある場面では自分自身になりきったりして、意識することなく自在に想念観察する立場が変化して、物事を観ている態度、発言の仕方、癖を潜在意識という自分が自分で一生有り続けるのをコントロールしている意識に、習慣として刷り込んでしまい込み、そこから自分の想いに同化させるかたちにして顕在意識へフィードバックさせ、無意識の反射反応で現象や想念を観ているのです。

これを解き解すのは簡単な様で、実はかなりの困難を伴いますが、ゆっくり焦らず集中力を高めて進んでいきましょう。

人間の想念は100人中100人がそれぞれの役割に従って、多少異なった反応をしています。受け取る側の事情によっても無限の変化を持っています。その無限に近い変化を持つ想念を観察し整理していくことは時として、ため息が出るほど大変ですが慣れると興味も湧いて集中できるようになります。

熟達して洞察力が付いてきますと、想念が宇宙の仕組みの有り様の振動情報層である8層の振動層のボディ、シン帯、エーテル帯、メンタル帯、コーザル帯に繋がり、人間の本質生命体とそのボディに情報が入り始めます。その結果、現在の地球の大変化がどの様な原因で起こっているのか、その問題の本質も理解されてきますから、身辺に起こるいろいろな出来事も速やかに対処できるようになります。

想念観察は実践しない限り何の役にもたちません。つまり想念を観ていたら観た味わいを感じるということです。観察の体験を味わう、この積み重ねが感性を豊かにして知力、優しさも育み精神のバランスが整えられて自分が変わる原動力になるのです。

想念観察の出発にあたって私達は自分に質問してみます。あなたは理想的な人生を送っていのか問かけます。ほとんどの人が少々考えて「いいえ」と答えます。

その人の「理想とする人生が」勝ち組と呼ばれる経済的、時間、友人などに恵まれている状態を言うのか仕事に成果を出して満足している状態か、和気あいあいの家族に囲まれていることが理想なのか、それぞれの人に「理想的な人生」があると思いますが、それらを実現できる人は何%位いるのでしょうか。

理想の人生が現象として感じられるいろいろな五感の想念の楽しみでしょうか。
何故できないのでしょうか。答えは自分自身を自由に操作できる心の解放技術を人間学習学校で学ぶ機会がなく、私達のほとんどが各自の自由判断で行動して、人生の体験と行動の本質を見極めることもなく、常に危うい無防備環境に置かれているのです。

想念観察コースは、まさに人間学習学校に相当し、人間の心を支配している身体の機能と、8層の振動層で構成されている生命活動の役割を学びます。その教材としては自然界の生成発展を担う「自然の法則原理」、「時空間の動的調和と静的調和」、「チャクラの働きと総合生命エネルギーの活用」を観察に織り込んで総合学習を進めていきます。

私達は自分の本質を知る質問をよく耳にしています。あなたは自分自身を知っていますか?
あなたは何処から来て、何処へ帰るのですか?あなたは何故、人間として生まれ、人生を送って
いるのですか?この様な質問に対して、ほとんどの人が自分のことを知らないで人生を生きています。今までは知らなくても良かったのですが、今後はアセンションを迎えるに当たって自分の存在確認が必須の事項になっていきます。

自分という生命体の心身はどの様な内容を持っているのか、それを知るには「内容察」の旅に出かける必要があります。人間の持つ「内容」とは「想念、感情」に相当します。つまり「想念、感情」のメカニズムを解明し操作方法に熟達すれば人生は想いのままになるのです。

観察の出発にあたって最初に「想念観察はとても簡単で、しかし単調に感じられて難しい?」と断っておきます。やり方はどなでも簡単にできますが、最初は効果が目に見えて現れるものではないので、期待が外れ途中で断念してしまう方がいます。効果が容易に自覚できる段階は、自身が納得感を持って気づく直感の様な新鮮さです。それまで辛抱してください。継続は必ず変革して成長する自分の姿に歓びを与えてくれます。それまでがんばっていきましょう。

想念観察が難しいと思うのは普段、積極的に使っていない右脳を働かせるからです。
人間は今まで五感の知覚、感覚、知識、判断機能を持った左脳を主体に使用してきました。左脳の情報は顕在意識が外部の情報を取り込んで、自分の存在位置を守る働きに使われ、頭脳の5%位の活動率です。

残りの95%は右脳や、古い脳組織の脳、脳幹、大脳辺縁系(脳下垂体、海馬、松果体等を含む)の働きであり、情報伝達は脳内物質やホルモンを介在して生体電気と物質波で脳を働かせています。

この物質やホルモンは、脳波がα波、ミッドα波、θ波の低い周波数帯域で自然界に在る、シューマン共振波や自然の生体電気を生み出している電磁波等に同調すると、分泌が良くなって右脳の働きが活発になることが知られています。右脳は脳幹、辺縁系、大脳新皮質の三者の連絡経路を持っており、見えないものを見える様にするイメージ脳であり、本質生命体の中心振動層、アーンプ帯に記憶されているリ・インカーネーション(輪廻転生)情報へアクセスする働きも秘めています。

 

さっそく観察の実践に入っていきましょう

 

【 最初に「自分」を観察しましょう 】 
 
こんにちわ! 私は何ですか? 

ー あなたは 「地球にいる人間です 男性ですネ!」

 

ありがとうございます 私は男ですが …何の役割がありますか?

ー あなたは 「役割を探していますが その前に大事なものがあります」

 

大事なものとは 何ですか? 

ー あなたは 「好きなこと 何かありますか」

 

はい 好きなことはたくさんあります 特に…が大好きです 

ー あなたは 「好きなことを いっぱい言いました 好きなことをたくさん言った心が あなたです」

 

心が 主役ですか! では 身体は何ですか? 

ー あなたは 「心が主役と思いました 身体は脇役です 脇役がいないと主役は在りません」

 


ここで気づきました。自分は心という個性、想念、意識を持っている何かだと、そして身体は心を現実の目で確認できる様にする、演技の土台みたいなものだと思ったのです。この感じたことを生物の原理に照合すると人間は「全てを知覚認識する、原子核12個の回転球体を持つ意識生命種」と書かれていました。人間の本質は肉体ではないのです。

もし肉体なら100年以内で死亡して、身体は自然にかえり無くなってしまいます。永遠の生命が「自分という人間」であるとすれば、どう思うのでしょうか。本質生命体として永遠に成長しようと思うでしょうか。それとも身体の限られた時間を精一杯、生きるのが良いと思うでしょうか。それは個人の選択の自由に任されています。

「自分」を知るためには「想念、心、感情の観察」ということになります。科学は観察することから始まります。「想念観察」も科学です。客観視できる科学者の目が理想的な条件です。

 

 

 

想念観察 Ⅲ

想念観察、中級の段階は想念の積極的な応用に入っていきます。応用するのは自然の摂理に適合している原理(エネルギーの流動作用)の認識が、基準となる尺度として必要になります。この原理は想念観察がさらに深まりますと、新たな確認(気づき)が次々と発見されてきますので、ある段階での必要基準だとして、これに強く固執しないでください。何故なら分離意識(エゴ)を生じやすく、想念観察が進まなくなります。

 

宇宙の言葉に

 

「あるがまま、なるがまま、ただそれだけ、皆等価価値です プラスもマイナスも無いのです」
「元々は一つで、あなたは私、私はあなたです」

 

という言葉があります。
 
「あの人は嫌な人だ、何とかならないか」

という想念が流れてきた場合、

 

「あの人は私です 嫌な人は私です "何とかならいか" の人は私です」 に置き換えてみるのです。

 

すると、そこに自分の姿を見せられていることに気づいたり、 「嫌な人」が妙なる感触で愛おしくなってきます。

 

時空間のエネルギー循環から生じて、「自分に関わる現象は全て自分が創造したものです」という原理があります。「あの人のせいで、こんなことになった」とか「この環境が私の運勢を悪くした」というような批判と責任転嫁の想念が流れてきたとき、「あの人は、私の責任転嫁を教えてくれた人」、「この環境は私が造り出した」と置き換えてみると、あの人や環境に感謝したくなるのです。責任を転嫁してイライラしていた状態が、その想念を認めて宇宙の原理に当てはめることによって、感謝の想念に変わってしまうのです。

中級の段階では、想念を宇宙の言葉や原理に照合して、整理統一していく内容が多くなっていきます。観察が進につれて「どうして、何故この様になるのか自問自答しよう」の想念が次第に増えていきます。

そして何故かを掘り下げていくことによって、自分の深層に隠されていた「カルマ」の手懸かりに繋がる古い想念が浮上してきて、観る、洗い流すを反復し、または自然の法則、原理等に照合して統一させるを繰り返しながら愛と調和を深めていきます。

この頃から人によっては想念観察の壁に突き当たります。応答や反応が無く、興味や成果が上がらなくなるので、自然と断念し初めます。二つの解決方法があり、一つは集中力を高めて相関性を見極める訓練を積み気づくことの歓びを想念化していきます。

二つめは分離意識(エゴ)を極力低く抑える努力をします。一つの課題に集中していると、回りの現実世界から隔離された空間が、没頭している心を誘い込み、甘美さで誘惑します。この時、エゴを払拭しきれずにいると、時空間の低級意識生命体に憑依される共振現象が起き、回りの人が驚くほどエゴをむき出しにしたり体調がどん底の不調に陥ったりします。

エゴが限りなく低く抑え込まれ、安定した心身の状態では、愛と調和への気づきが一段と増して、観察の自問自答からは未来化のための実践課題が、より体験しやすい簡素なかたちで解答が得られる様になってきます。

この頃から瞑想と想念観察の併用に入っていきます。観察の深まりは脳波を下げる効果があり、瞑想の効果を推し進めてくれます。併用によって日常生活のなかでも脳波が低く安定した状態を保てるので、起きて身体が動いている時間帯は、常時、想念観察が行える心身に変化しています。この様な状態の確認がとれたら、想念観察の中級は終了になります。

想念観察の最終段階は大部分、本質生命体と肉体を持つあなたとの直感(直観)を介在した会話に入っていきます。想念は限りなく単純化されていきます。
感情の反射で、感動、喜び、悲しみ、時にはムーっと怒りも出ますが、直ぐ冷静になり静穏の毎日を過ごします。この頃から人によっては究極の宇宙意識の情報層にアクセスが可能になりますので、宇宙の仕組みが原理情報として入り初めます。この情報は精妙で一見すると難解に思いますが、整理すると単純明快になります。地球固有の情報層にアクセスして情報を受け取る人もいます。この場合は、人間の意識深化に関連した情報が多くなっています。

最終段階に到達したら意識を積極的に正気「日常の生活意識」に戻していきます。
精神世界と日常の現実生活との隔たりが大きくなりますと、精神世界に埋没したい誘惑に駆られます。ここからまた、エゴ が実に巧みに囁きかけてきます。正気の具体化は直感に顕在意識も参加させ、時空間から未来情報を受け取るようにします。情報の入手そして行動して具体化、この繰り返しが正気の実現です。

想念観察の要点をまとめますと、「想念を観ている」とは「観ている姿勢、観ている世界、観ている時空間」と置き換えることもできます。観ていることに私的な感情を持ち込むことなく中立の目で、観ているあなたとあなたが想念として感じている、自らが行動して現実化している現象は、一心同体で存在しています。

あなたと現象は分離して存在しているのではなく「一緒」なのです。一緒という「一体化」は自然界の現象を造り出している「時空間のエネルギーが循環し、無限に近い組み合わせから新羅万象が形成されている」自然の時空間と相似象なのです。

「観ているあなた」と「観られている私」と「感情の起伏の想念」の相関関係は宇宙の唯一のエネルギーである意志が「観ているあなた」の本質生命体であり、「観られている私」は肉体の意識エネルギーに該当しています。そして想念観察の深まりから単純化した想念は、体験を味わう意味から意志と意識へバランス良く配分され私達人間を進化させていきます。

このエネルギーの流は、人間の本質生命体と選択されている身体や、時空間から生まれた新羅万象形態を包み込んで循環しています。私達は時空間の中で一心同体であり、「私はあなた」、「あなたは私」、「私は自然」、「自然は私」という生命種の違いを超えた循環系の存在一員を造り出しています。

体験を味わうため、想念が湧き上がるという見極めをもたらす想念観察は、人間を永い間、拘束してきた「二律背反のデジタル意識」からあなたを解放します。解放は人間を成長させ、4次や5次元的思考で行動する自然界本来の相関関係(アナログ)を基本とした生命活動に転換していきます。

想念観察は宇宙意識の8層の振動層と、一番外側のシン帯に時空間ラインを持って広がる宇宙時空間を雛形にした宇宙意識自身の心のあり方を、想念観察実践者にメッセージとして伝えています。

12回目のビックバンを経て、生命活動する宇宙時空間と宇宙存在は、宇宙意識の8層の振動層の外周を覆う様に展開している宇宙の時空間です

人間の身体構造に該当させるなら、宇宙の時空間は自然の法則という原理を実例を伴ってリアルに体験させる私達人間を包み込む社会そのものです。社会と個人を結び付ける組織活動、人間関係、現状と個人の接点など感情の起伏を生じさせる体験や学びが、動的調和から静的調和へ至る情報の宝庫として宇宙時空間(人間社会)が存在し、宇宙意識はその情報に惑わされること無く、8層の振動層を静的調和へ進化させる試みを情報適正利用で惜しむことなく実践しています。

感情の起伏で揺れ動く自分が人生の主人公ではなく、想念を観察している第三者の自分が本当の主人公であったという気づきは、宇宙意識の身体構造と相似するものであり、短時間で自らが静的調和へ到達できる宇宙意識へ限りなく近づいていきます。

想念観察は本来の人間役割に気づいて、創造し人間として生きたという、生き方を学ぶ一人でコツコツ継続して学ぶ教科です。

大変化の現在ですが遅くはありません。想念観察の習熟をさらに積み上げていきましょう。

 

画像引用
Hubble Space Telescope Images | NASA

 

 

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2006.2.20
「エヴァへの道 想念観察編」より( 旧自然生活館HP )

 

 


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